「復刻・理論篇」24

(5)この教えは深遠で微妙なものだ。それは人の知恵で追求したところで得られるものではなく、清浄なものである。そして私はそれを知り得た者である。私の説く言葉を深く信頼しなさい。この教えの言葉に偽りはない。それは最高の意義を示しているものなのだ。

まず注意する点。原文の表記は「存在としての仏」を肯定して語られています。それによって「仏」という言葉の意味が混濁しています。初出時には「理論篇」でも、その表記に準じていたがために、あたかも「私=仏」であるかのような印象を形成することとなっていたので、今回表記を改訂しました。
しかしそうすることによって、尚更意味が掴み難くなったきらいがあります。イメージとして「仏」を描くことができにくくなったからです。でも、間違った印象を持ってしまうよりは、まだこの段階では、すべてが曖昧な方が無難ではないかと思います。

(4)までで「さとりがなければ、仏というものを理解できない」ということが説かれてきたわけですが、ここで「私」は「さとりによって知り得たこと」を語っているのだと言われているわけです。
「人」から「仏」までのプロセスには、その間に「さとり」という決定的な条件があります。そして「さとり」を得たからプロセスが完結するわけではありません。
「仏とは何か」ということについて、まだ言葉は濁されたままです。濁されたままこれが説かれているために、この説法はどこか突き放したような印象があります。