第17節の5
「たとえば『崇高な、徳のある人がいる』と言うようなものだ。」
(原文は「身が整い、身の大きな人があると言うようなものだ」。これに対しマイトレーヤならびにアサンガは上記の解釈をしたと註釈にある。)
これに続くスブーティの言葉を、原文のまま書いてみよう。「師よ。如来が『身が整い、身の大きな人』と説かれたかの人は、師よ、実は体のない人であると、如来は説かれました。それだからこそ『身が整い、身が大きい人』と言われるのです。」
これは前回の第17節の4の終わりにつながっている。「それは何故かというと、『あらゆる法というものは、実は法ではない』と如来によって説かれているからだ。それだからこそ『あらゆる法』と言われるのだ。」スブーティの言葉は、これをそのまま使い回ししただけのものだ。
いずれにせよ、予備知識なしには理解できないどころか、こいつら変じゃねえ?で終わりかねない文章である。別にマイトレーヤの解釈に従うこともなく、ばっさりといってしまうには、こう言えばいい。
「たとえばスブーティよ。『汝は実体ではない!』ということだ。」